- 宮本 洋平
- 角田 英明
- 佐藤 真吾
- 河津 典全
- 日高 裕子
- 大島 あかり
- 田中 慎吾
- 堀本 俊治
- 居石 郁佳
- 阿具根 明信
- 小笠原 ゆきこ
- 和久井 博
- 関根 雄基
- 舛田 賢弘
- 山口 隼輔
- 阿部 由菜
- 貴田 沙知
- 倉林 駿吉
- 中村 朱里
- 松田 恵示
- 小波津 亮
- 山本 蒼太
- 原田 享汰
- 小澤 ゆかり
- 佐野 友美
- 加賀谷 信貴
スタッフ紹介
倉林 駿吉
倉林 駿吉
SHUNKICHI
KURABAYASHI
ポジション | 薄毛Designer 毛髪診断士 |
---|---|
血液型 | A型 |
趣味 | サウナ、ゴルフ |
自分にキャッチ コピーをつけると |
職人気質で優しい男 |
他のスタッフからの印象 | 温厚 |
幼少時代
私は1988年、群馬県高崎市に生まれ、父と母、二つ上の姉と四人で生活していました。
父母はそのころ「優駿ORACION」という映画作品が好きで、そこから「駿」という部分を使い、語呂と画数のバランスを取って「駿吉」と名付けられました。
父母ともに教育関連の仕事に携わっていて、特に母はとても厳しく、私も姉も頻繁に叱られていました。厳しい中にも愛情があり、今思えば一人の人間として対等に扱ってくれていたのだと思います。
姉の真似をしてピアノを習い始めた私ですが、じっとしていることよりも身体を動かすことが好きだったので、ピアノ教室に行くフリをして友達と公園で遊んだりしていました。
その現場を母に目撃され、わずか一ヶ月で辞めることになりました。
友達を笑わせる事が好きで、小学校に入るとその気質が更に強くなり、教室のムードメーカーになっていきました。
先生に「明るく元気なところはいいですが、落ち着きがない。」と、通知表で釘を刺されることもありました。
運動が得意でマラソン大会、短距離走でも、常に学年で一位でした。
スポーツが好きな私は、サッカー日本代表が初めてワールドカップ出場を決めたゲーム、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」を、私は夜遅くまで起きて応援していました。そのゲームに興奮し、母に「サッカーを始めたい」と頼みました。
ところが「地元の小学校は野球チームしかないから野球ならいいよ!」と言われ、本当はサッカーをしたかったのですが、野球チームに入ることになりました。
小学生の野球チームではありますが比較的スパルタであり、土日でも早朝から夕方までトレーニングや試合をしていました。先輩には「さん」を付けることが徹底されていましたし、試合に出られない選手は一日中球拾いなどがありました。スポーツの厳しさを実感できる環境でした。
徐々に上手くなり、五年生のとき同学年では唯一レギュラーになりました。群馬県大会ベスト8まで残ることができたのですが、準決勝出場をかけた試合で2アウトまで追い込みつつも土壇場で逆転されてしまい、そのまま試合が終わり、先輩方の引退もあって号泣してしまいました。
野球によって負ける事の悔しさや、チームワークの重要性を学びました。
学生時代
中学に入ると、性別を問わず友達ができました。念願のサッカー部に所属することもでき、強いチームとは言えませんでしたが、友人たちと過ごしたこの時の時間は今となっても宝物です。
高校生になると、以前にも増して勉強をしなくなりました。寝るとき以外はほとんど友人と過ごしてばかりいました。
フットサル、遊び、バイトに明け暮れる生活で、高校三年間は両親にかなり心配をかけたと感じています......。
ですが、フットサルチーム作りにだけは打ち込んでいました。
メンバー集め、試合日程の調整、撮影した試合映像を使ってのフォーメーションの分析など、リーダーシップをもって励み、キャプテンになることができたのは、高校生活における私の唯一の成果です。
高校一年生の頃、漠然と将来のことを考えるようになりました。
そのとき偶然足を運んだ専門学校の説明会の影響で、都心の美容専門学校に憧れを抱き、人と関わる仕事に就きたいと思うようになりました。
説明会があった日の夜、早速美容専門学校に通いたいと言いました。
もともと大学に行かないことを悟っていた母は「手に職をつけるのは良いことだ」と承諾してくれて、卒業後、東京の山野美容専門学校に行くこととなりました。
専門学校に入って人生初の一人暮らし。都会に住む=モテる。とよくわからない方程式が私の中にあり、とにかくモテたかった私は都会に住むことを決意し、渋谷の四畳半での生活が始まりました。髪の毛のセットに時間をかけ、服装などは雑誌のモデルを真似て、モテたい気持ちだけに全力を捧げていました。
洋服を買ったり、オシャレにお金をかけたいと思い、「賄い付き」という事に惹かれて居酒屋でバイトをするようになりました。
私はキッチン担当で、そのとき覚えた「だし巻き卵」は現在でも得意料理の一つです。
モテ期はつかみ取れませんでしたが、クラスメイトや担任の先生、そして友人に恵まれ、濃密な二年間を過ごしました。その人達のおかげで現在の私が成立しています。今でも親交のある仲間ができたことも私にとっての財産です。
なんとなくですが、卒業するころには「早く社会人になりたい」と思っていました。
修業時代
無事、国家試験に合格し、吉祥寺の美容院で働き始めました。
社会人一年目ということで、マナーや美容師の基礎を一から教わりました。
当時は、早く一人前の美容師としてお客様の髪を切れるようになりたい、という強い思いがあったのと、簡単には美容師を辞めないという自分に対する誓いの意味を込めて、同期の中で一番早めにハサミをローンで購入したりしていました。
知識などなく何がいいかわからず、先輩が紹介してくれたディーラーさんに「一番良いハサミをください!」とお願いして買ったことを今でも覚えています。
そこの美容院を経て、次に自由が丘の美容院で働くことになりました。顔なじみのお客様がたくさんいて、アットホームなムードのお店でした。
スタイリストになるためにカットモデルや撮影など夜遅くまで練習に励みました。夜遅くまでトレーニングに協力してくださった先輩方には今でも感謝しています。
人と接する仕事を通して、スタッフ同士でコミュニケーションを取ることや、お客様のために色々と気を配ることにやり甲斐を感じるのだと分かり、この時期から美容師という仕事が好きになってきたような気がします。
とにかく我武者羅で、誰よりもシャンプーに入ろう、誰よりもカラーに入ろう、髪の毛一つ落ちてないように掃除をしよう、と目の前のことに毎日全力で打ち込んでいました。トレーニングが辛いと思うときもありましたが、だんだんとお客様からの喜びの声を聞けるようになり、それが励みになっていました。
この頃、スタイリストの先輩に「アシスタント時代は沢山遊んで、色々な人と知り会って、人間力を高めた方がいいぞ!」とアドバイスをいただき、単純な性格の私はその言葉通りに練習が終わると遊びに行き、寝ずに仕事に行くこともありました。
昔から遊ぶことが好きだった私は全く苦ではなく"これも練習の一つ"くらいに思っていました。
そうこうしているうちに二年の月日が経ち、スタイリストに昇格したのでした。
スタイリスト時代
スタイリストになり、始めから終わりまでお客様の施術を行う事になり、これまで経験した事がなかったプレッシャーがかかるようになりました。
納得していただけるクオリティのサービスができているか、お客様一人一人について反省・分析する日々が続きました。
アシスタントの頃から常連だったお客様が、私がスタイリストになった初日に指名してくださり、退店する前に二人で写真撮影をしました。そしてお祝いの言葉をいただき、プレッシャーが和らぎ、喜びで心が震えた事を今でも鮮明に記憶しています。
スタイリストに昇格してからは、たくさんの方々を担当させていただきました。
学生の時から来ていただいたお客様の成人式の髪を担当させていただいたり、結婚前から担当していたお客様がお母さんになり、お子様を連れてきてくださるなど、その人の人生の一部に関われているなと感じた瞬間は、改めてこの仕事を選んで良かったと思いました。
スタイリストとして数年経った時、自身の結婚を機に、もっと自分の可能性を試すために新しい事にチャレンジしたい、という気持ちから、生活の拠点を福岡へと移すことにしました。
ゼロからの取り組みではありましたが、お客様やスタッフの皆さんに恵まれ、店長に就任するなど、人同士の絆をより強く実感しながら、サロンの仕事を続けさせていただきました。
関東でしか生活した事がなかった私にとって、新天地での出会いは全てがフレッシュでした。自分の視野が開けて、色々な経験を積むことができました。
福岡のサロンでは、全スタッフ中、再来率一位を記録するなど、スタイリストとして成長する事もできました。
関東に戻る事になり、アシスタント時代からお世話になっていたオーナーに声をかけていただき、スタイリストデビューした店舗で再始動する事になりました。
私は恩返しがしたいと常々思っていたので嬉しかったです。そして、それは原点回帰でもありました。
しかし目標がないまま月日を重ね、このままではいけない、と心では常に焦って悶々とした日々を送っていました。
「自分がどうありたいか?」「真の意味で人の役に立てるようになりたい」「情熱的に美容師の仕事をしたい」と心底思うようになりました。
そんなとき、福岡時代にお世話になった方からINTIについて教えてもらいました。
INTI時代
早速、興味本位でINTIのホームページを見た時に、施術したお客様のbefore、afterの写真の違いに衝撃を受けました。
美容師を10年以上やらせていただいていましたが正直、薄毛のお客様のカットやセットの方法を特別に学んだことがなかった為、私にとっては新しい発見でした。
もともと男性のお客様を担当させていただくことが多かったことから男性専用サロンという業務形態とINTIのコンセプトに共感し、入社することを決めました。
入社してからは、新たな技術を先輩方に教えていただく中で、お客様一人一人に合わせたカットやセットなど細やかな部分まで親身に考える姿を近くで見させていただき、美容師を志したばかりのあの頃の熱い気持ちを思い出しました。
それぞれ悩みを持たれてご来店されたお客様に、熱意を持って向き合い、それがお客様に伝わった時はこの仕事をしていて良かったと思う瞬間です。 実際にお客様が施術を受けて変身した姿を見て喜んで帰られる場面はINTIならではの技術とサービスだからこそだと感じます。
練習会や技術チェック、専門知識を学ぶ為の講習会などを行い、常にそれぞれがよりお客様にご満足いただける為にスタッフ同士アドバイスをし合うなど技術向上に努めております。
『ヘアデザインで人生を変える』というコンセプトのもと、スタッフ全員が同じ方向を向いていることや、ベテランスタッフが多い中現状に甘んじず技術の向上に励んでいること、スタッフ同士お互い尊重し合える環境で働けることが入社して良かったことのひとつです。
日々の営業で多くのお客様にINTIのサービスが求められていると肌で感じております。
その為にも技術向上に努め、目の前のお客様の明日へのお役に立てたら本望だと考えております。
INTIという扉を開けたら、新たな道があり、そこには私の人生でやるべきことが見つかりました。 この道を信じ、一歩ずつ歩んでいこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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