- 宮本 洋平
- 角田 英明
- 佐藤 真吾
- 河津 典全
- 日高 裕子
- 大島 あかり
- 田中 慎吾
- 堀本 俊治
- 居石 郁佳
- 阿具根 明信
- 小笠原 ゆきこ
- 和久井 博
- 関根 雄基
- 舛田 賢弘
- 山口 隼輔
- 阿部 由菜
- 貴田 沙知
- 倉林 駿吉
- 中村 朱里
- 松田 恵示
- 小波津 亮
- 山本 蒼太
- 原田 享汰
- 小澤 ゆかり
- 佐野 友美
- 加賀谷 信貴
スタッフ紹介
角田 英明
角田 英明
HIDEAKI KAKUTA
ポジション | INTI Director 毛髪診断士 |
---|---|
血液型 | A型 |
趣味 | サーフィン・HAWAII |
自分の悩み | 老化と健康 |
自分にキャッチ コピーをつけると |
我が道を行く |
他のスタッフからの印象 | 頑固で負けず嫌い |
幼少時代
茨城県、下妻市に生まれる。父親は自動車整備士、母親は美容師という技術職の家庭で育ちました。幼少時はスポーツより絵を描くこと、ものをつくることが大好きでした。父方の家系には尊敬する仏師がいた影響で手を使う作業が大好きな記憶があります。ドッヂボールが大嫌いでした。田舎で育ったこともあり、自然にある草木、木の実などをいつもおもちゃにして遊んでいました。幼稚園は戦いごっこや砂場で遊ぶより、おままごとが好きでした。
小学校では、少年野球をサボらず、休まずずっと続けていました。が、本人はキャプテン翼の影響もあり、野球よりサッカーが好きな少年時代でした。小学校で好きな授業は図画工作でした。小学校では授業中、授業を聞かず彫刻刀を使ってなんでも削っていた記憶があります。遊びは教科書の余白にパラパラ漫画、四コマ漫画などを描ける場所にびっしり書いていました。勉強をした記憶はありません。とにかく自分が好きな事ばかりしていた記憶があります。そして夢中になったファミリーコンピュータは両親ともに仕事をしていたため、無制限ですることができました。一日中ゲームをする事もあり、同じゲームを何回も繰り返しても自分が納得いくまで飽きずにつづけていました。
よくいたずらもしました。何事も、一度こうと決めると、他人の影響を受けず、集中して、周りが目に入らない事があたりまえな子供時代だったとおもいます。友達から声をかけられても全然聞こえない、聞いていない、とよく親友に怒られました。10歳前後からひどい花粉症に悩まされるようになります。幼少時代はとても繊細で、アレルギー性皮膚炎、結膜炎、寒暖差アレルギー、車酔いなど、とてもデリケートな少年時代でした。小学校の将来の夢は、お母さんと一緒にいたいから美容師と書きました。しかし、本当は調理士になりたかったです。
学生時代
中学では念願のサッカー部に所属、レフティを活かし、三年生では副キャプテンになります。才能はたいしてなかったです。勉強は大の苦手、特に英語の先生が大嫌いで、英語が嫌いになりました。よく授業をボイコットしました。その度保健室でお世話になりました。先生すみません。しかし、元々線が細く、身体も小さいため、保健の先生には本気で心配されて、申し訳ない気持ちがありました。
中学時代は自分の最初のコンプレックスが気になりだします。それは、首元に大きなホクロがあるからです。このホクロは勉強できない、背が低い、ホクロがあると、思春期にどん底に落ちた記憶があります。首元のホクロを隠すように写真に写ったりした記憶があります。自分は一生モテないのではないか?なんてすごくおちこみました、もちろん勝手な妄想です。でもなぜか昔から女性の友達が多かった記憶があります。
高校は女子が多い商業科。ここで女性との接するスキルがかなり身についた記憶があります。高校は料理するのが好きだったのでファミレスで厨房のバイトをしました。とても楽しかったです。高校一年生から実家で友達の髪の毛を切り始めます。何度もバラバラ、バサバサにするが、こりずに何回も髪を切る日々を過ごします。よく失敗して母親になおしてもらっていました。
16歳のときに中型自動二輪を取得。250CCのバイクを購入してツーリングなどが趣味でした。大好きなサッカーは足が太くなるとおしゃれできないとの理由から断念しました。昔から女性の輪に僕だけ男がいても全然違和感がなかったので、女友達が沢山できました。高校生クイズにも参加します。猿の着ぐるみ着て、かわいい女の子と写真を撮りたい目的で参加、みごと一回戦敗退。よい思い出です。
そして卒業後、美容専門学校へ進学。美容専門学校も女子が多く、女性の扱いには慣れていたため、とても楽しい記憶があります。よく遊びました。そしてかわいい女性ばかりをチェックしていた青春時代も、いよいよ卒業となります。
修業時代
当時渋谷の有名美容室に入社します。先輩などよい人たちばかりで働きやすかったが、目標が見つからず、自分を見失う日々を過ごす日々。そんなとき、専門学校の親友から「うちにこいよ」と誘われる。一度目は丁重に断ったが、二度目の勧誘で移動を決意します。そして当時最高の超有名店HAIR DIMENSIONに中途採用として参加します。僕の美容人生大きな転換期となります。
DIMENSIONでは、女優、タレント、有名人のオンパレード。田舎者の私にはカルチャーショックを受けました。ここでは目標を作るよりも仕事量に追われる日々、早朝から最終電車まで練習と仕事の日々を数年過ごします。当時、一般雑誌のヘアメイクの多い職場のため、休日はスタイリストヘアメイクのヘルプ仕事も同時にし、24時間365日美容漬けの日々を過ごします。DIMENSIONは弱肉強食の世界でした。その中でも最高な先輩、同期、後輩に恵まれます。というより、全ての人が輝いていました。
そんな中で働ける最高の瞬間を過ごせたとおもいます。深夜まで働き、朝まで遊ぶ。仕事も女性も遊びも一生懸命する先輩達。酒もこのサロンで勉強しました。何度も吐く、飲む、の繰り返し。ここは辛くて嫌な思い出です。ただし、お酒を飲めるようになったのにはとても感謝しています。
ヘアメイクの世界でも超一流とよばれる場所には独特の空間があります。鳥肌が立つ経験も何度もさせていただきました。アシスタント時代からこういう空間にいられる事は大変素晴らしいことだとおもいます。超一流のサービス、超一流の仕事、言葉で表すのはとても難しいですが、確かにそこには超一流の空気感がありました。自分と超一流との差。がんばるだけではなく、自分のブランドの確立が生き残るためには必要でした。まだまだだといつも先輩との差が埋まらないという劣等感と戦いながら絶対に負けたくないと努力しました。
そして努力しても全然追いつかない先輩との差、壁。というより自分の壁は自分で壊して、乗り越えないといけなかった。本気だからこそ、アシスタント同士よくぶつかります。喧嘩もしました。朝一練習といって、家に帰ってシャワーを浴び、終電でお店に戻り、練習することもあたりまえでした。とにかく負けたくない、追いつきたい、ただそれだけでがんばれました。負けないようにいるだけで精一杯です。それでも先輩との差は離れていくばかり。そんな中いつも気にしていた事、同期の中で一番じゃ駄目だ、先輩との競争の中で一番をとらなければ残れない、そんな修業時代を過ごしました。
アシスタント時代にはヘアメイクをして作品撮りも沢山しましたが、それは、読者モデルと知り合いたいのがほとんどでした。とても刺激的で楽しい勉強でした。
スタイリスト時代
HAIR DIMENSIONのスタイリストでは毎回の事前カウンセリングを取り入れたり、当時誰もしていないお客様一人一人にDM(手紙)を取り入れたり、自分の色を常に模索して努力しました。とにかく不器用なので、技術以外の部分も意識しないとついていけないとおもっていました。接客、知識は先輩の技を盗めるのは盗み、自分なりにアレンジしていかなくては。気になったら自分が納得するまで調べました。調べ方も一通りというより、色々な見え方を、バランスの良い落としどころを自分が見つけるまで納得できない性格でした。不器用なので無駄に時間がかかりました。とにかく調べるのは大好きでしたので苦痛には感じなかったです。
ヘアサロン外ではヘアメイク、特にヘアセットは大の苦手だったため、サロン出社前に朝練習してからお客様に望むというスタイルを繰り返しているうちに、徐々に当時の店長や回りに認められ、サロンワーク以外の仕事ももらえるようになりました。
一般誌、CM、某有名結婚情報誌、美容業界誌なども担当させていただきました。理論と分析が得意だったため、講師として美容師を対象とした講習の仕事もさせていただけるようになりました。それでも練習はしないとすぐ下手になるので練習しました。アシスタントのためにとおもってはじめた朝練も、結局は自分の成長につながるとわかり、勉強になることが多かったです。そして、スタイリストになって数年後にトップスタイリストへ昇進。
トップスタイリストとしてのプレッシャーは沢山ありました。サロン内ではトップミーテイングでサロン運営に参加もさせていただきました。サロンワーク、アシスタントの教育、経営ミーティング、講習講師などの日々を送り、副店長に昇格します。このころからサロンを一からつくってみたい、経営もしてみたい、なんて考えるようになります。スタイリスト時にはじめたサーフィンと毎年のHAWAI旅行も私の人生を華やかなものとなりました。この二つの素敵な出来事は僕の人生観で今も大切です。そして35歳の区切りでHAIR DIMENSIONを退店する事に決めました。
そして新しいサロンをプライベートでも親交のある先輩と共同で立ち上げることとなります。そのまま株式会社取締役に就任して、念願のオープニングから、設計、経営など今までと違う環境となります。とても勉強になる事ばかりでした。5年間の安定したサロンワーク、会社経営を経験した後、安定した仕事より自分の成長とやりたいことのために、40歳の区切りで取締役を辞任、退社の運びとなります。INTIのデザイナーとして一から参加することになります。
INTI時代
INTIは私にとって自分のコンプレックスを最大限に活かせる場所であり、仲間です、、、。
3年前、INTIのHPに私が書いた文章ですが、そのときから自分はどれくらい成長しているのだろう?
『ヘアデザインで人生を変える』
INTIでの3年間はあっという間でした。私が入社した時はスタッフ3人の渋谷だけのサロン、それが今ではスタッフも沢山増えて、店舗数も5店舗まで増えることができました。
ひとえに沢山のお客様、INTIファン、皆様のおかげです。本当にいつも私たちを支えて下さり、まことにありがとうございます。
これからも初心を忘れず
『ヘアデザインで人生を変える』
を第一に、毎日一生懸命頑張ります。
私自身M字型薄毛が悩みでしたが、この三年間でさらに毛が細くなり、白髪も多くなり、つむじ回りの髪の毛も徐々に薄くなってきました。
現状の自分の髪の毛をベースに、お客様にもっと共感していただけるヘアデザインを模索し、サロンワークに活かしていきたいとおもいます。
INTIでのこの三年間、自信をもっていえるのは、自分自身が少しだけ成長できたとおもいます。
この濃厚な三年間のINTIでの経験を活かして、自分が本当に今やるべき事、そのために自分がお客様の為に、スタッフの為に何ができるのか?
常に自問自答しながら1日1日を大切にして、生きていきたいとおもいます。
40歳を過ぎてからINTIに入社させていただき、INTIのお客様、そしてINTIのスタッフ皆様のお陰で私が自信を持つことができました。本当にありがとうございます。
そして代表の宮本には、こんな頑固な私の意見、発言を素直に聞いていただき、感謝しかありません。
その自信を皆様にお返しできるよう精進いたします。
これからも宜しくお願い致します。
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