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スタッフ紹介

阿具根 明信

阿具根 明信
AKINOBU AGUNE

ポジション 薄毛Designer
毛髪診断士
血液型 O型
趣味 ドライブ、ダンス、カフェ巡り
自分の悩み 髪質、身長が低い、歌うのが苦手
自分にキャッチ
コピーをつけると
お客様に寄り添い型美容師

幼少時代

阿具根幼少時代1

福岡県大牟田市に生まれる。
父、祖父は明治時代の近代化に強く影響を与えた、炭鉱マンで家族を支えてくれました。
母は専業主婦で家庭を支えてくれました。
そんな私には弟が一人います。僕と正反対の弟でした。
明信という名前の由来ですが、 どんな困難にも明るくし、誰からにも信じてもらえる子に、とつけてもらいました。

そんな私ですが、 6歳の頃には交通事故にもあってしまい、 3ヶ月の入院生活を送る日々がありました。
その再手術が10歳の時にもあり、 しかしそれがきっかけで、当時初めてなりたい夢という物が見つかりました。
それは看護師です。
手術も少し大きなものでしたので、その後のリハビリも痛く学校も行けない僕に、男の看護師さんが気にかけてくれました。
その当時男の看護師さんは珍しく、同性の看護師さんは初めてで、小学生なのに女性に遠慮するタイプでしたので、そのお兄さんにの仕事してる姿がカッコよかったのを覚えてます。
僕には兄がいなかったので、そんな姿が眩しかったです。
その時に兄としてのあるべき姿を学ばさせて貰いました。
それからは弟を少しづつですが大事にするようになりました。

阿具根幼少時代2

小学生の頃は習い事をいくつもしており、 体操教室、スイミング、書道、サッカー、を習ってました。
ほぼ毎日習い事ばかりでしたので、遊ぶ習慣がなく、習い事が遊びの感覚でした。
習い事のお陰で幼少期に溺れて以来、
水が苦手でしたがスイミング後のアイスのご褒美のために頑張り、水の苦手を克服する事ができました。
あの時習ってなければ、大人になってからも海、川が苦手なままだったと思います。

習字も字を書くのが汚かったのが、5段まで取るとこができました。
身体を動かすスポーツは好きでしたので、楽しくできましたが、レベルとしては人並み程度でした。
特にサッカーは僕がしたいというよりかは、弟のダイエットのため、サポートするために入ったのですが、弟は直ぐに辞めてしまい、僕も好きで入ったわけではないので辞めたかったが、負けず嫌いの性格でしたので、最後まで続ける事となりました。
しかし幼少期に、ほぼ毎日の習い事をしてたせいか、大人になってからは、ゆっくりな日々より、毎日が忙しい日々が好きな性格になってました。

幼少期の習い事の頃は、当然ですが自分の事しか考えてなく、習い事もほぼ毎日あるという事は、両親も送迎を毎日してくれてると言う事です。
仕事や家事で忙しいなか、毎日習い事を連れていってくれてる親の姿は、大人になって偉大だと感じました。

学生時代

阿具根学生時代1

中学生の頃は学校が山の上にあり、150段の階段を毎日登って登校してました。
そのため皆んな足腰は強くなり、マラソンや駅伝では、地区大会などでは上位に名をあげる母校でした。
その為か、自分の太ももも若干太いような気がします。

高校では料理を学びたいと思い、調理がある高校に行き、ハンバーグやケーキ、健康、栄養を考えた献立を作ったりもしてました...ですのでプライベートでも当時はお菓子を作ることが好きでした。

しかし高校時代にダンスと出会い、そこからはダンス一色の生活でした。
ヒップホップやブレイクダンスなどを習い、そこには1つ下の男の子がいて、まだダンス始めて1カ月でしたので、仲良くもなりましたが、勝手にライバルと意識もしてました。

そうやって近くにライバルもいてダンスを続けた結果、後に地元でのダンスインストラクターとなり、自分への自信へとつながり、その次の美容師となるきっかけとなりました。

阿具根学生時代2

美容師としてのきっかけは、その頃ダンスブームでもありまして、教え子達を大会に出させたい!
その髪型は、僕がしてあげれば、そんな想いからで美容師になると決めました。
美容学生になったのも24歳と遅めで、流石に全日制は金銭面で難しかったので、夜間学校に行き、朝から夕方まで仕事をし、夕方から夜まで学校の生活を、ほぼ休みなしで過ごしてました。
毎日がハードでしたので、学生生活の2年間があっという間でした。
24歳と遅めでの学生生活を得て感じたのは、18歳の若い子達は、先生に文句を言ったり、勝手に帰る子達がいたのですが、きっと昔の自分でしたら同じ事をしてたと思います。
しかし24歳となった自分では、有り得ないと思った時、少しづつ大人になってきたと感じました。
その時から、後輩に大人としての考え方というのを、自分なりに伝えるようになりました。

修行時代

阿具根修業時代

僕は社会人を得て、美容学校に行ったので、美容師になったのが26歳で、遅かったですが、僕はそれを武器だと思ってます。
普通の人ですと、美容師しかしてない事を、僕は美容師になる前に、数百名いる企業に勤め、自衛隊研修や、大企業が扱っている研修制度などにも参加する機会をもらい、違う目線での社会人の経験を持つことができました。
だから僕は26歳から美容師というのはデメリットと考えず、社会人としての人間性を先に学ばせてもらったので、ここからは、美容の技術を専念する事が出来ました。

その為前のサロンでは、誰よりも技術練習に努力をしました。
シャンプーも、ただ洗う考えではなく、僕のシャンプーで気持ちよく眠らせてみせる!と言う意気込みで毎回入ってました。
技術練習も早く来て自主練、終わってからもモデルを呼ぶなどしました。
最初に習うシャンプーやカラー塗布などは、スムーズにいったのですが、ヘアアレンジに苦戦して、そこに1番時間を費やしてしまいました。
しかしその期間が今の自分を強くしてくれました。わからなければ、セットの得意な先輩に聞きやっとの事で合格でき、今ではアレンジをするのも好きになりました。

そんな僕にもアシスタントを1年もすると後輩ができ、今までは習う側から少しづつ教える立場へとなってきました。
シャンプーやカラーの塗布の仕方など教えますが、後輩から
「何故これをするのですか?何のためにするのですか?」
など純粋に質問しそれに答えれますが、たまに質問返しに困るのもありまして、その都度自分でも調べ、後で後輩に伝えるという事がありました。
本当は直ぐ答えれる方がいいのですが、後輩を持つことにより、自分の見落としもある事を認識し後輩から学ばさせてもらいました。

阿具根スタイリスト時代1

アシスタント業務が終わりカットの練習に入り、同性から切れるようにとの事でしたので、集中的にメンズカットを練習し、カットの練習をして2カ月で男性のお客様に入らせて頂きました。
今まで、マネキンやモデルさんなどでたくさん練習をしましたが、お客様となると、緊張と集中し過ぎて、自分の顔が強張っていました。
その強張ってた表情をみせないようにと、会話ながら切ると、今度は施術スピードが遅くなってしまい、ただ1つクリアできても、まだまだ改善するところはたくさんあり、施術スピードや、カウンセリング不足など、デビューの頃は毎日が課題だらけの日々でした。

その時思ったのが、
美容学校の校訓があるのですが、
「技術は回数!!」
まさにそうだと思いました。

スタイリスト時代

阿具根スタイリスト時代2

28歳でスタイリストになってからは、いろんな年代のお客様に入らさせて頂きました。
デビューして最初は、指名のお客様もあまりいなく、それでも地元でしたのでお友達や身内が来てくれて、そこからの紹介などで日に日に指名数も増え、応援してくれるお客様も増えたことによりそれが活力になりました。

なかでも嬉しかった出来事が高校生の男の子でしたが、初めての美容室。
顔立ちはいい感じなのにシャイで自分に自信がない子で、髪も目が隠れるほどの長さ
そんな子が
『お兄さんにお任せします。』
と言って頂いたので、前髪も眉のところまで切り、トップもワックスで動きが出るくらいまで切らせて頂きました。
1ヶ月後その方が来店して頂き
『初めての彼女ができました。』
阿具根さんのお陰です。
と言われた時は美容師をしてて1番嬉しい出来事でした。
それからその子は外見も内面も明るくなり、1年で別人のようにポジティブな子になりました。
改めて美容師という仕事は、人の人生を大きく左右する仕事だと思いました。

30歳にして店長になり自分だけを考えるのではなく、店舗スタッフの事を常に気にかけて、そしてお店の経営の勉強もさせて頂きました。
しかし何から行動したらいいかわからず唯一の先輩店長にヒントをもらい自分で考えて動くようにしました。
先輩店長はそんな僕を見届けてくれており、そんな先輩を僕も理想とし先輩の真似る事をし人間力を成長させてもらいました。

阿具根スタイリスト時代1

32歳の時には新店舗を任させて頂き、オープンしたばかりでしたので、新規客も来ては頂いたけどまだまだ毎日が忙しいまではいかず、試行錯誤の日々が続きました。
今までは引継ぎの店長としてでしたが、今回は0ベース!
技術は当たり前、後はどうやったらお客様が来たくなるかなど自分1人で考えず皆んなで考え取組みキャンペーンやイベントなど行い成功は継続、失敗は直ぐ辞めてを繰り返し少しづつですがお客様も増えることができました。
あの時スタッフ皆んながいろんな提案し、お店を支えてくれたから今のサロンがあると思っています。

前のサロンでの8年間は仕事はもちろんですが遊びや生き方、人生について、いろんな意味での成長をさせて頂きました。

INTI時代

阿具根INTI時代1

8年間福岡でのサロンを勤め、少しづつ美容師としての将来を考えるようになりました。
美容師の平均年齢は30代前半と言われていて、私自身年齢も30代後半へとなり、その時に感じたことが、20年後の自分が美容師をしてるイメージが想像つかなくなり、不安を抱くようになりました。

とにかく今の環境を脱却しなければと思い、前のサロンを退職し東京に上京。

前勤めてたサロンでは女性よりも男性が7割来店するサロンでしたので、
僕の強みをもっと高めるためにメンズサロンでの就職を希望しネットで情報を探し、その時に目に入ったのがINTIでした。

それは今まで感じたことない衝撃的でした。
それは美容師さん(私自身も)が苦手としていた薄毛のお客様のbefore、afterのヘアデザインの画像をみて、劇的な変化をみせられ
素晴らしくて興奮した事を今でも覚えています。
INTIでの【Life your change!!】
まさにその通りだと感じました。

阿具根INTI時代1

早々とINTIというサロンを観てみたいと、代表の宮本さんの居る渋谷店に見学に行きました。
宮本さんと会話してる中、宮本さんの話している会話は穏やかですが、美容師としての熱い思いがメラメラと感じました。
その熱い気持ちに僕もつられて熱い想いを伝えたら、それだったら
『INTIのコンセプトと一致しますね』
と言って頂きました。
見学の時点で僕の心中ではINTIで働きたいと思っていた矢先、そのまま採用が決まり入社。

入社直ぐは覚える事がたくさんあり今までの接客、施術とは違い戸惑いもありましたが、
どれだけお客様の悩みに寄り添って改善、対策ができ、安心して頂けるカウンセリングができるかが重要でした。
それはお客様が勇気を出してINTI足を運んで頂いているので、親身になって悩みを聞き接客するようになりました。

INTIの強みは、デザイナーになっても常に向上心を持つところ。
ベテランのデザイナーでも未だに技術レッスンを行う姿、その姿が僕の背中を押し続けてくれます。

INTIならば、20年後の未来も美容師として続けていけるビジョンが見えるようになりました。

これからはINTIでたくさんの感動を与えれるように精進しますので、どうぞ宜しくお願い致します


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