スタッフ紹介
田中 慎吾
田中 慎吾
SHINGO TANAKA
ポジション | Top薄毛Designer 毛髪診断士 |
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血液型 | A型 |
趣味 | 映画鑑賞、漫画 |
自分の悩み | 髪質、体型 |
自分にキャッチ
コピーをつけると |
らしくない人 |
他のスタッフからの印象 | 真面目 |
幼少時代
大阪府の南部の田舎に生まれ、裕福とは言えませんが温かく笑顔の絶えない家族の末っ子として育ちました。父親は無口な頑固親父といった感じで厳しく育てられましたが、私がしたいと言ったことを否定せず見守ってくれ、不器用ですが大きな愛情のある人でした。
田舎ですので毎年夏になると奈良や和歌山のキャンプ場でテントを張り一泊するのが恒例でした。毎回決まって川のそばで水遊びや釣りをして溺れかけることもしばしば、お腹が空けば母親がお肉を焼いてくれます。そんな非日常が本当に楽しく、その影響で大人になってからもアウトドアが好きで登山を趣味にしている時期もありました。
当時の性格はビビリで甘ったれで、転んでケガをするのが嫌で自転車に乗れるようになったのも遅かったです。末っ子とゆうこともあり今思えば他の兄弟よりも甘やかされて育ったのかもしれません。地元は海と山と田んぼばかりで、父親が趣味にしては立派な畑をしており、水やりや草抜きによく駆り出されましたが、季節ごとの収穫を楽しみにしていました。良く言えば本当に自然に恵まれた環境で伸び伸びと育ちました。
小学生の頃は体育と図工の時間が好きで、特に絵を描くことが好きでした。今でも落書き程度ですが絵を描きます。興味のあるものに対しては貪欲で、絵は学校で賞をもらうほどになりましたが興味のないことは全く続きませんでした。その性格は美容師になった今も変わらず、いろんな趣味はすぐに飽きてしまいますが、この美容師という成長に終わりのない仕事への興味が尽きることは無さそうです。幼い頃から年の離れた兄弟の影響をよく受けながら育ち、ありきたりですが一緒になって観ていたドラマ「ビューティフルライフ」が僕の記憶の中で1番最初の美容師のイメージでした。まだ小学生で内容はよく理解していなかったですが今思えば、この所謂「カリスマ美容師ブーム」の頃に自分の中で美容師がカッコいい職業として認識され、今の自分に繋がっているんだと思います。
学生時代
思春期に入り、兄の影響でサッカー部に入るもセンスはまるで無くレギュラーには程遠く仕方ないので筋トレに励む毎日でした。しかしサッカーは好きで社会人になってからも学生時代の部活のメンバーとフットサルチームを作り、ユニホームまで作って趣味のひとつにしていました。
友人には本当に恵まれ、楽しい青春時代を過ごせました。地元に帰るとみんな集まってくれて学生当時の思い出話で大笑いし、それぞれの仕事の話で気持ちを高め合うことの出来る大切な仲間がたくさんできました。学生時代の自分は身長が伸びず見た目だけではなくコンプレックスがいくつもあり、いつもどこか劣等感を感じ周囲からの評価を気にしていたように思います。
それを隠す為にオシャレだけには気をかけ、美容院では思ったようなスタイルにならなかったので手先が器用な母親にハサミを持たせ細部まで細かく注文をつけて納得がいくまでカットしてもらっていました。スタイリングの技術も自然に身に付けた気がします。やがて反抗期を迎え髪を染めてみたり授業をサボったり、本当にクソガキだった私は親や学校の先生にはたくさん迷惑をかけ今思えば本当に申し訳ない限りです。
そして進路を決めるとき、興味のない事は続かない性格ですので興味のあるもの好きなものを考えると美容師にたどり着きました。当時流行っていた雑誌には読者モデルで美容師の方が多かったこともあり思春期の自分は大きな影響を受けました。そしてそれから10年以上経つ今もその方達は美容師の第一線で活躍されています。
美容師になったからこそわかるその方達の苦労もあり、時代が変わってもカッコよくあり続け、刺激を与え続けてくれる姿に励まされます。スケールは及ばなかったとしても自分も誰かにとってそうありたいと改めて思います。
修行時代
地元の求人広告をかき集め美容学校に通いながらの自分を雇ってくれる美容室をさがしました。
するととなり街で美容学生を雇ってくれるという広告を見つけすぐに電話をかけました。当初は女性スタッフのみの募集だったらしいのですが、電話での印象が良かったらしく急遽面接してもらえることになりました。そしてそのお店で美容師の一歩目を踏み出しました。
40年続くお店でベテランのスタッフも多く、その技術を身近に見ることが出来る環境でした。単純な動作ひとつにしてもその意味合いを教わり、スタッフや店内のいたるところにオーナーのこだわりを感じ本当に大切なことをたくさん教わりました。アシスタントの頃は、ただただ目の前の事に必死でアシスタントの中で1番になるという思いで練習し、ヘッドスパなどできることの技術を追求して、出来る限りお客様1人1人の特徴を頭に入れ早く上へ行きたい気持ちだけでした。忙しいお店で休憩が多くても15分でした。体重は太っていたわけでもないのですが10キロ近く落ちてしまい今もそのままの体型はコンプレックスのひとつでもあります。
ようやくスタイリストデビューし少しずつお客様が増えた頃、私生活で1つのターニングポイントが訪れます。
それは父親が亡くなったことでした。
突然のことで親孝行どころか思春期を引きずったままのような当時の私はちゃんと向き合って話すこともあまりできないまま、父は逝ってしまいもう少し早く自分が人として大人になっていればと後悔ばかりしていました。
その頃から考え方が変わり、後で後悔しない為に今何を選択するかが自分の考え方の基準になりました。その為にまず地元を離れ可能性を広げることだと思い、お世話になった最初の美容院を辞めました。自分に何ができるのかわからないので、まず美容師免許で出来ることの可能性を広げようと思いバイトを掛け持ちしてメイクの学校に通いました。小さいですがショーや撮影の現場に入りいろんなものを見て経験しました。その間もハサミを持つ感覚を忘れたくなかったので、自宅で友人やその知り合いのカットは続けていました。そして卒業後、一度は大阪のテレビ局で就職が決まるのですが、どうしても東京へ行きたい思いが込み上げ周囲の反対もありましたが、知り合いが1人もいない東京、青山でヘアメイク事務所兼美容院の会社に勤めました。
スタイリスト時代
右も左もわからない東京での生活が始まりました。最初は電車の乗り換えも難しく大きすぎる駅には悩まされました。
メインの青山の美容院と月に1.2回都内各所の提携サロンを行き来し、いろんなタイプの美容院を内側から見ることができました。将来の糧にと思い、その美容院ごとに感じた良いところ嫌なところを書き溜めました。夜は会社の練習場に行き技術を磨く毎日。せっかく東京に来たんだからと思い社外の講習にも参加しました。特にヘッドスパの面白さに気づき、頭蓋骨の作りからツボなどを学び、会社では指導の担当になりました。
美容院の方は連日タレントさんが来店され田舎出身の自分は刺激ばかりの毎日でした。ようやく慣れ始めた頃、美容師としては私を指名して下さるお客様も徐々に増え、責任感と充実感が持てる毎日になりました。しかし、当時の会社はヘアメイクアップアーティストよりも美容師が足りず主に美容師の仕事がメインになっていきました。
メイクの方は伸び悩み、メイクに費やす力を美容師の方に傾けようと思い美容師のみに転向することにしました。そこで特に力を入れて来たのが男性のお客様に対してです。それはやはり自分は男で坊主からロングまでいろんなスタイルをして来ました。
その都度スタイリングのコツや生活する上でのメリット、デメリットを感じて来て、男性ならではの悩みも共感することが出来るからです。特に若い女性のスタイルはどうしても想像で補う部分が出て来てしまい、そのギャップを埋めるのはこれから歳を重ねるごとに難しくなるだろうと感じ、ならばメンズスタイルのスキルを磨こうと思ったからです。当時勤めていた美容院の来客層は男性の比率も高く髪質や量の変化に悩まれる方も多くいらっしゃいました。
その中で今している技術のみでは無く美容院が男性のお客様に出来ることはもっとあるんじゃないかと感じていました。やはり一般的に美容院は女性に合わせた仕様が多く男性は年齢層が上がると入りづらい雰囲気のところもあると思います。なにか少しでもヒントになればと思い、気になった他の美容院には積極的に足を運びカットしてもらい、感じたことをメモに取ることを続けていました。メンズ美容の需要の高まりも感じ、今の自分の現状で出来ることの限界を考えている時、毎月読んでいる美容専門誌にINTIが載っていました。
INTI時代
その専門誌に掲載されていた、代表の宮本氏の記事を読み、初めてINTIの存在を知りました。
お客様へ配慮された店作り、特化した施術、男性のお客様に対して美容院が出来ることの1つの答えを見た気がしました。そしてすぐに見学の予約を入れ、はじめに逢ったのはINTI東京のスタッフでした。
難しい分やりがいがあると話してくれ、特に心に残ったのは他の美容院とは『ありがとう』の質が違うという言葉でした。このやりがいの部分にますます興味が湧き、その後、代表の宮本氏と逢いました。
本当に熱く真っ直ぐな眼差しで今していること、これからしようとしていること、そして来てくださるお客様のことを話してくれました。悩まれている方がこんなにいること、そして明るく笑顔になられる方がこんなにたくさんいることを知りました。自分が今までぼんやりと描いていた理想の先にあるのはこういうことなんじゃないかと感じ、話し終わった時にはもう自分も一緒にやりたいと思っていました。
そして、ここでやらなければ後悔すると思い勤めていた会社を退社しました。
薄毛に特化した美容師をしていると言うと、ほぼ例外なく「なんで?」と言われます。確かに美容師のイメージとしては一般的ではないと思いますし、特殊であるが為にキャリアとしてネガティブなイメージも少なからず持たれるのかも知れません。しかし、私にとっては今までいろんなお客様と接し、いろんな経験をし、さまざまな選択肢を辿ってやっとたどり着いた一つの答えであり、紛れもなく美容師としてのステップアップです。
これだけデジタル化が進む時代で、美容師は直接人と人が触れ、そして心に寄り添うことのできる素晴らしい職業だと思います。
そんな美容師であるために専門的な知識と技術の習得はもちろんの事、お客様一人一人と真摯に向き合えるよう、そして頼っていただけるように人として成長し、追求していきます。まだまだ若輩者ではありますが、ただカッコよく美しくするのみでは無く不安を軽減させ気持ちを軽くする「ヘアデザインで人生を変える」このスペシャリスト集団の一員であることにこれまでにないやりがいと責任を感じています。