スタッフ紹介

関根 雄基

関根 雄基
YUUKI SEKINE

ポジション 薄毛Designer
毛髪診断士
血液型 AB型
趣味 釣り、ツーリング、グルメ、車屋・バイク屋巡り、読書
自分の悩み M字、軟毛、細毛、直毛
自分にキャッチ
コピーをつけると
好奇心旺盛
他のスタッフからの印象
(よく言われる印象)
物腰が柔らかい人

幼少時代

関根 幼少時代

私は神奈川県横浜市で三人の長男として生まれました。
当時の横浜は程良くお店があり、公園や自然も多く何をするにも不自由なく程よい環境でした。
父と母は医療関係の仕事に努めており、頼まれたら断れない性格なのでしょうか、いつも忙しく仕事をしていました。そんな忙しい中でも両親は、外に出ても恥ずかしくないような人になりなさい!と、よく言っていて、お箸やペンの持ち方、お茶碗の持ち方、 ご飯の食べ方、脱いだ靴の並べ方など、私が悲鳴を上げるほど叩き込まれました。ですが、それ以外の事には特にあれはダメ、これはダメとは言わずに自分のやりたい習い事や遊び、行きたいところに連れて行ってくれたり、とても自由にやらせてくれる非常に素敵な両親です。
私は、長男と言っても年の近い姉と妹がいて真ん中に位置しています。長男でも1番上ではなく兄弟と言っても男兄弟がいるわけでもありません。なんとも絶妙な立ち位置です。
私のイメージでは男性の兄弟とは競争、殴り合い、早い者勝ち、などが多くあると思うのですが、そんなことは一切なく、みんなで分ける、分担、平等など、なんでも協力してやってきたので、とても平和な兄弟との時間を過ごしてきたと感じております。そのせいか今でも兄弟とは1~2ヵ月に一度会って髪をやってあげるほどでとても仲が良いです。
そんな環境で育った私は好奇心旺盛で色々な事にチャレンジさせてもらいました。元々体を動かすことは好きで幼稚園の頃はサッカー、小学生の頃は野球、バスケ、卓球をやりました。どれも興味を持って始めたが長続きせず、唯一、卓球だけが高校の途中まで続けることが出来ました。

学生時代

関根 学生時代

中学になるとますます卓球にのめり込んでいきます。部活はもちろん卓球部。授業が終わると休む事なく誰よりも先に体育館へ行き部活が始まる前から卓球台を出しメンバーと打ち合っていたり、学校が休みの日は顧問の先生になんとか体育館を開けに来てもらったり、メンバーを地区センターに引っ張ったりあの手この手で何とか卓球をしようと頑張っていました。中学の頃は本当に卓球をしなかった日が無かったような気がします。その甲斐もあり区大会も突破したことのない弱小の卓球部でしたが自分たちの代で何とか県大会に出られるチームになりました。この事は今でも自慢の一つです。
高校生になると新しい友達とワイワイやるのが楽しくなります。クラスの男子で腕相撲大会をしていて私はここで学年でもトップクラスの怪力を持つ男と勝負し、なんと大事な利き手を骨折してしまいます。
この事をきっかけに卓球を辞めることとなります。

卓球をしなくなった私は、おしゃれやバイク、アルバイトなど中学生では出来なかったことに興味が出ます。特にオシャレに関しては人生初の美容室に行ったことが大きいです。人生初の美容室ではカットカラーをしてもらい見事にイメチェンを果たします。それまで、床屋で坊ちゃん刈りだった自分にとってはあまりに衝撃的でした。
髪型が変わると気分が良くなる。
気分が良くなるとオシャレも楽しくなる。
オシャレが楽しくなると明るくなる。
明るくなると行動的になる。
行動的になると関わる人が増える。
結果、人生が変わった。
まさにヘアデザインで人生が変わった最初の瞬間でした。
人をこんなに嬉しい気持ちにさせる仕事がしたいと思いそこから美容師を目指します。 高校3年の春、自分で進路を決め、行きたい学校を決め、いざ父親に進路報告。 何でもやらせてくれた父でしたが将来の事を考え、大学に進学させたかったのでしょう。 専門学校に行くならお金は出さないと拒否されました。予想とあまりに違う事にビックリしましたが、私は、 昼間アルバイトして夜間の専門学校に行くと返します。父はその時は、だったらそうしなさいと言っていましたが数週間後、自分のやりたい事をしなさいと結局は私の味方でいてくれました。

修行時代

関根 修行時代

専門学校に入ってからは卓球と同様、毎日技術練習に励みます。 好きな事の練習は特に苦では無く、学校に残っていい時間ギリギリまでやっていました。ですが、当時の自分は美容の技術以外にもバイクや車にも興味があったため趣味のためにアルバイトをしなくてはならず、学校以外での練習は中々できていませんでした。
周りの人達も好きな事を学びに来ているだけあって強者ばかりです。技術力順にクラスはA、B、C、Dクラスとありましたが、中々Aには行けずBの上位までが当時の限界でした。Aクラスの人達は家でも練習していたので改めて本気の人の凄さが分かりました。
就職は地元が大好きな事と、技術をしっかり身につけたいことから地域密着型のサロンに就職します。 そこでは厳しい店長の元、美容師以前に社会人としての立ち振る舞いをしっかりと教わりました。くしゃみをしているお客様がいればティッシュを提供したり、咳き込んだらお水や飴をお渡ししたり、暑そうにしていたら空調を整えたり、雑誌でじっくりと読んでいるページがあどっちればコピーを取ってさしあげたりと、どんな小さなアクションも見逃さないように教わりました。こういう僅かな動きにも反応できないとお客様の悩みや希望、なりたいヘアスタイルには気付けないという教えでした。最初は色々なことに全然気づけないことが多かったですが注意されて直していくうちに分かるようになってきました。なんだか修行時代は技術よりも大事なことを教わったように思います。

スタイリスト時代

関根 スタイリスト時代

スタイリストになってからは、徐々に指名も増え、もっとお客様に喜んで貰いたい気持ちと自分をアップデートしたい気持ちで随分と学ぶ事が楽しくなりました。カット、カラー、パーマなどの技術的なセミナーには良く参加していました。講師が都内の有名サロンの人だったりもするので東京の技術を学べとても参考になりました。
当時勤めていたサロンはカラーをするお客様がとても多かったこともあり、技術の中では特にカラーを勉強していました。ブラウン一つとっても深みのあるブラウン、軽さのあるブラウン、透明感のあるブラウン、艶の出やすいブラウンなど微妙な違いですが、これらを気分や季節や流行など意識して提供する事がとても楽しかったです。
ある時、お客様から「こんなおばちゃんの髪でも一生懸命色を選んでくれて楽しそうに仕事をしてるから指名しているのよ。」と言われることがありました。私としては何気なくやっていたのですが、お客様からそういう風に見られていたと思うととても嬉しくなりました。
前述した通り技術的なセミナーもよく行っていたのですが、他にもヘアケア知識の方にも興味が湧くようになり、認定資格なども取得して、お客様に合うヘアケア商材なども教えて差し上げる事ができたのでとても喜ばれとても充実していました。
地元での美容師生活も10年が過ぎた頃、徐々に自身の髪質の変化も感じ始めていました。 以前より髪が細く、ハリコシがない、20代の時にできた髪型ができなくなっている、しかし、職業柄、薄毛になれないと思い込んでいた。
そんな時、INTIに出会います。

INTI時代

関根 INTI時代

元々、学ぶのが好きだった事もあり、薄毛のメカニズムやお薬の事も良く調べていました。 髪に効果があると聞けば色々と試してみたりもしました。
薄毛の方のあるあるかもしれませんが、一般の美容室だと、濡れた髪でオールバックで待たされることや仕切りのないフロアでのカットなどが恥ずかしくて美容室から遠のいてしまう事、前髪をカットする時の何とも言えない緊張感、薄毛について聞きたいのに聞きづらい、事が挙げられると思います。
これらが、INTIでは解決できてしまうんです。
会話のほとんどが、薄毛にについてです。日常のケア方法、セット方法など、全て全力でお伝えさせて頂いてます。

関根 INTI時代

本当に一般の美容室とは違う雰囲気があります。お客様からは「薄毛についての悩みが話しやすくてビックリした」など言われることが多いです。
INTIに出会って、自分の知見や体験をフルに生かせるようになり、以前とはまた違った角度でお客様に喜んで頂けるようになりとても充実しています。
INTIのコンセプトである「ヘアデザインで人生を変える」のもと、今の現状に満足する事なく、1人でも多くのお客様に感動を与えられるよう、日々、精進していきたいと思います。

INTI report - 関根 雄基

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