スタッフ紹介

中村 朱里

中村 朱里
SYURI NAKAMURA

ポジション Top薄毛Designer
毛髪診断士
血液型 B型
趣味 旅行 ショッピング 岩盤浴 
自分の悩み 敏感肌
自分にキャッチ
コピーをつけると
ポジティブ女子
他のスタッフからの印象 素直

幼少時代

中村幼少時代1

私は山梨県に2人姉弟の長女として生まれました。

実家は桃とぶどう農家で、家のドアを開けるとすぐ上にはぶどうが実っている、そんな環境でした。両親は夏の暑い日差しの中でも休まず汗水垂らしながら働いてくれて、私を育ててくれました。

のちに8つ下の弟が生まれますが、それまでは一人っ子のようなもので、家族や親戚をはじめ、ご近所さんからも、みんなからたくさんの愛をもらってのびのびと大きくなりました。

中村幼少時代2

山梨県は桃の生産量が日本一で、春になると桃の花で町中がピンクの絨毯のようになります。

自然もいっぱいで遊びと言えば、木登りや、虫捕り、川で魚釣りなどでした。
そんな環境で育ったため、生き物を育てるのが大好きで、家にはネコやウサギ、リスをはじめ、捕まえられる虫や生き物は何でも持ち帰ってきて観察をしていました。

また父の前職が大工さんだったこともあり、小さい頃からよく作業場に遊びに行っていました。そこでトンカチといらない釘と木材を貰ってはトントン、トントンずっと何かしら作っていた記憶があります。
今の実家も一から父が作ってくれて、そんな現場をずっと間近で見ていた私は、小さいながらも将来は女大工になる!と思っていました。

そのうちだんだんと見た目も性格も男の子のようにボーイッシュになっていき、保育園の頃は自分の体重の2倍はある同級生の男の子に馬乗りになってケンカしていたそうで、先生と親からこっぴどく怒られました。(笑)

そんな活発な性格を活かせないかと母の勧めもあり、6歳からスイミングスクールに通い、小学校に上がってからはミニバスケットボールをはじめ、クラブ活動では陸上の高跳びをやっていました。

またそれらと平行して、少しは女の子らしくとピアノ教室にも通わせてもらいました。
ですが、ピアノの練習だけはどうしても身が入らずよく先生からは、練習しなさいとしょっちゅう怒鳴られていました。
そんな私でも周り方々にサポートしてもらい小学校の卒業式では伴奏を任せてもらい、その経験は今でも鮮明に覚えています。

学生時代

中村学生時代1

中学校に入学してからは両親の影響から、テニス部に入り3年間勉強そっちのけで、肌が真っ黒になるほどボールを追いかけてコートの中を走り回っていました。
また季節限定の陸上部にも入り小学校から少しだけ経験していた高跳びは市の大会で3連覇するほど当時かなりハマっていました。

高校に入学すると、自分が活躍するというよりかは、誰かをサポートする側にまわりたいと言う気持ちが強くなり、サッカー部のマネージャーになります。
当時サッカー部は3学年合わせてようやく1チーム作れるかどうかの人数しかいなく、よくわたしもキーパーの練習相手になっていました。
そんな状況でも部員ががんばっている姿を間近で見ていた3年間は学ぶことも多く、今後の人生に大きく影響することになりました。

マネージャーをしたことで、相手を思いやる大切さ、相手のために尽くして喜んでもらえる喜び、それまで自分中心に生きてきた私にとっては自分を見つめ直す大きなきっかけになりました。

そして今後の進路を決める時も、その経験を活かし、誰かの手助けができる職に就きたい、自分の技術で相手を喜ばせたい、その思いで美容師を目指すことになりました。

中村学生時代2

美容学校に通うのなら東京の大きいところがいい!と考え、八王子にある山野美容芸術短期大学に入学します。
この頃まだ弟は小さく、なるべく家にも負担をかけたくなかったため、車と電車とバスを使って片道2時間かけて学校まで通いました。
周りからは、大変だねとよく言われていましたが、わたしにとってはそれが気にならないほど、美容学生生活は毎日が楽しくていられませんでした。

学校では美容師免許の技術の他に、生け花や茶道、着付けなど様々な美学を学び、学内のヘアショーにも参加してモデルもさせていただきました。
またパーマのロッドを巻く技術コンテストでは金賞をいただき、実技と筆記共に、常に成績は上位でした。

今まで勉強することが嫌いで後回しにしてきた私にとっては信じられないほど、学ぶことが楽しくていられず自分にとって、美容師は天職だと思って過ごしていました。

修行時代

中村修行時代1

美容室は都心の有名なところに入る!その思いで、倍率が高いと有名な美容室に猛アピールをし、合格させてもらい表参道の地で美容師になりました。
そこで4年間アシスタントとして修行することになります。
4年間という期間は他の美容室と比べたら比較的長く、その分多くの技術、知識を吸収させてもらいました。

入社1年目の頃はシャンプーをひたすらにする日々でした。自分がお客様を喜ばせられることはこれくらいだと、必死に様々なシャンプーの仕方を研究して実践しました。そのこともあり、多くのお客様からシャンプー指名をいただき、お褒めの言葉もいただき、それがなによりも嬉しく忙しい日々を忘れるほどわたしにとって励みになりました。

中村修行時代2

2年目の頃からはお店で1番売上のあるスタイリストの専属アシスタントになります。それは毎日が怒涛のサロンワークでした。
そんな中で、中国の美容師さんに技術をレクチャーしに先輩と私2人だけで、上海に出張に行かせていただくチャンスがありました。
1週間という期間の中でカットの手順や似合わせのポイントを伝えたり、日本のヘアスタイルやファッションの流行をスピーチさせていただいたりと、ここでの経験が自分自身にとってとても刺激的で大きく成長できたきっかけとなりました。

そして3年目くらいからは、自分は何の技術が得意なのか、自分らしくお客様を喜ばせられることは何なのかを考えるようになります。
そんな中メンズカットをしているときだけは他の技術とは違う夢中さ、自分が輝いているのでは!と気づきました。
そう思ってからは毎日メンズカットのモデルさんを呼んで練習しました。
そして4年目になりメンズスタイルだけで勝負しようとメンズサロンに転職することを決断します。
そこでたくさんの美容室を調べていく中で、INTIに出会いました。
お店のコンセプトやスタッフの言葉、お客様からの素敵なお声、それらを見てわたしもここで働きたいと、代表の宮本に想いを伝えINTIに入社させていただきました。

INTI時代

今川INTI時代1

入社してからは一つ一つが驚きの連続で時間があっという間に過ぎていきました。 先輩達の仕事に対するストイックさ、カット技術の高さ、細かいところまで配慮の行き届いた接客。 私の想像の遥か上をいくINTIのレベルの高さに先輩達のようになれるのかなと戸惑い、焦り、時には自分の未熟さに泣くこともありました。

それでもここまで続けて来れたのは、私の身近にも薄毛で悩んでる人がいたからです。 その人の薄毛に関する苦悩をずっと近くで見てきたからこそ、同じような悩みを持つ方一人でも多くの力になりたい。 この想いをずっと持ち続けて、お客様を施術させていただいています。

そして、お客様が美容室に滞在される1時間の中でどうしたら満足して帰っていただけるのか。 入社してからずっと考えてきました。 お悩みに寄り添って、ライフスタイルに合わせた髪型の提案をさせていただくのは、もちろんとても大切なことです。 それに加え薄毛を改善していく上で頭皮の状態を良くするためにはシャンプーとスパも重要な手法だと私は考えています。

過去の自己紹介でもお話させていただいたのですが、私はスパをするのがとても得意です。 それもあり、以前に「イーラル」という頭皮と髪のエイジングケアブランドのメーカーさんからスパのディプロマを取得しました。

今川INTI時代2

これは3ヶ月間決められたカリキュラムを勉強し、モデル人数70人以上の技術練習をした後200問の知識試験、技術試験を経て合格したものです。 頭皮のツボを指圧し筋肉のコリをほぐすことで血流を良くし、髪に栄養が行きわたりやすくします。また、頭皮には全身のツボがあるため、疲労回復、ストレス緩和の効果もあります。

1時間という短い滞在時間ではありますが、少しでも私の磨いた技術で薄毛を根本から良くしたいと思っています。

その甲斐もあり最近ではお客様から 「こんなに気持ちのいいスパは初めてだ。」 「もっと長いスパをやってもらいたい。」 などの声を多く頂けるようになりました。 INTIに入社して人の役に立てることがこんなにも嬉しいものなんだという事を改めて実感しました。

私はお客様が気軽にお悩みを打ち明けられて心と体を休められる場所、そんな居心地のいい場所でありたいと常に思っています。 そのためにお客様に「中村さんじゃなきゃダメだ」と思われるような存在になれるよう日々精進していきます。 最後まで読んでいただきありがとうございました。

INTI report - 中村 朱里

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