スタッフ紹介

原田 享汰

原田享汰
KYOTA HARADA

ポジション 薄毛Designer
血液型 O型
趣味 DIY
自分の悩み 寄り道が多い
自分にキャッチ
コピーをつけると
聞き人間
他のスタッフからの印象 誰とでも打ち解けられる

幼少時代

幼少時代1

私は、長崎県長崎市に生まれました。
父と母、上に姉が2人の5人家族で暮らしていました。幼いころは体が弱く、よく病院に通っていたそうで、夜中に車を走らせ病院に連れて行ったこともあると、母から話を聞いたことがあります。今では風邪も引くことなく、元気に生活出来ていることにとても感謝してます。
田舎で育ったこともあり、外で毎日、日が暮れるまで遊んですくすく成長していきました。
小学校では、姉2人の影響で、水泳と書道教室に通うことになりました。その他にも、近所に住んでいた友達の影響で、空手教室にも通うことになりました。体を動かすことは昔から好きで、運動神経には自信がありました。勉強はものすごく苦手で、母からよくテストの点が悪いと怒られ、塾にも通っていました。それでも頭が良くなることはありませんでした。

幼少時代1

父は、昔からよく一緒に遊んでくれていました。休みの日は歩いて近くのイオンに行き、ゲームセンターでメダルゲームで遊んだり、海に行って釣りをしたりと楽しい思い出がたくさんあります。
母は、普段、真面目な明るい性格で、幼い頃からよく私のわがままを聞いてくれていました。
ふとした時、思いもよらない天然な行動をしたりと、家族の笑いのツボでもありました。
歳の近かった姉2人とは、たくさん遊んで、たくさん喧嘩もしました。特に次女とは取っ組み合いの喧嘩になるほど激しいバトルを毎日繰り広げていました。
今では、3人仲良く、休みが合えば出掛けていろんな話ができてとても頼りになる姉たちです。
優しい父、天然すぎる母、しっかり者の長女、何でも話せる次女、とてもバランスのいい家庭に生まれたことにとても幸せを感じます。
小学生時代は、夏休みになると毎年家族で旅行に行くのが定番で、地元の長崎から、佐賀や熊本などいろんな場所に連れて行ってもらった思い出があります。また家族みんなで、どこか旅行に行ける日が来るのを実現させたいと思ってます。

学生時代

学生時代1

中学校に入学した私は、父から必ずスポーツの部活に入りなさいと言われ、とても悩んだ思い出があります。私の中で絶対これだけは譲れない条件がありました。それは、坊主になる部活にだけは絶対入らないと決めていました。選択肢に残った部活動が、バスケット、バトミントンこの2つでした。幼い頃から身長に恵まれていたこともあり、バスケ部を選ぶ事にしました。
坊主にしなくて済むと、軽い気持ちで入った部活も顧問の先生が鬼の様に厳しく、毎日10キロ走らされ地獄の練習でした。あの頃の自分を褒めてあげたいです。
ですが、辛くきつかった思い出だけではなく、バスケを通して、人として大切なことをたくさん学ばせていただきました。
今、社会人としてやっていけてるのは、顧問の先生のおかげだと思っています。中学3 年間バスケットを頑張った甲斐もあり、高校にはバスケの特待生として通うことができました。

学生時代1

勉強が苦手だったこともあり、迷わずバスケットの道に進みました。
高校生になり、ファッションや髪型に興味を持ち始め、慣れないワックスなど使っていました。今では、いい思い出です。
美容師になろうと思ったきっかけは、すでに美容師を目指していた中学時代の友達が大きく影響していたと思います。周りの同い年とは違って、髪型も服装もオシャレで、密かに憧れていました。私が通っていた高校は、卒業したらそのまま就職する同級生達が多かったのですが、私は美容専門学校という道を選びました。福岡に行ってみたい気持ちもあり、地元長崎を出て福岡の学校に通うことを決めました。
人生初の一人暮らし、初めはホームシックになり、休みの日はバスでよく長崎に帰っていました。一人暮らしにもだんだん慣れて友達もでき、始めてバイトでお金を稼ぐという経験もしました。
本当あっという間の2年間でした。いよいよ就職の時期が来た頃、いろいろと考えた結果、地元には帰らず、そのまま福岡の美容室で働くことを熱意しました。

修業時代

修業時代

無事、あれほど苦手だった勉強も必死に取り組み、国家試験になんとか合格することが出来ました。国家試験の結果が発表される前から就職が決まっていたサロンで働いていたため、もしここで試験不合格だったらどうなるのだろうと不安になりながら働いていた思い出があります。入社を決めたサロンは、担任の先生にアットホームで働きやすいサロンを教えてほしいとお願いをして紹介していただいたサロンでした。
入社時は、同期が10人ほどいたのですが、気付けば最終的に私含めて、同期2人だけになっていました。
入社1年目の頃は、ひたすらシャンプーをする日々でした。リラクゼーションにも力を入れていたサロンだった為、ハンドマッサージやヘッドスパなどもメニューにありました。お客様に喜んでもらえる技術は今はこれくらいだと思い、毎日練習を重ねていました。本来なら毎日シャンプーをしていると手荒れになり、ひどい人は手だけではなく、手首から肘まで荒れてしまう方もいます。私は、有難いことに手荒れをすることなく、恵まれた手を持っていました。練習の甲斐もあり、今でも自信のある技術の1つになっています。

修業時代

シャンプーを合格すると次はカラーの塗り方、次はパーマと新しい技術を日々ひたすら練習していました。朝早くから、お店に行き練習をして営業後も練習、休みは週に1回ととてもハードスケジュールな生活を過ごしていました。
あっという間に1年が過ぎ、後輩が入り気付けば先輩になっていました。2年目から本格的にカットの練習が始まりました。同期よりも早くスタイリストになりたかった気持ちがあり、日々練習を重ねていました。
初めて練習用のマネキンではなくモデルさんを呼んでカットをする日が来ました。初めてのモデルさんは、私の父でした。父からのオーダーは「今より、少し短くスッキリする感じで」と言われました。
日本語は本当に難しいです。父が思っている少し短くと僕が思っている少し短くは、別物でした。
仕上がりは、後ろ姿は、たらちゃん前からをぱっつん前髪とさすがにポジティブな父も仕事に行けないのではないかと思うぐらい申し訳ない髪型にしてしまいました。
でも、優しい父は「スッキリしたー、いい感じ」と言ってくれました。なんて優しい父親なんだ。産んでくれてありがとうと思いました。その時のエピソードは今でも笑い話になっています。

スタイリスト時代

スタイリスト時代

スタイリストデビュー当日は、朝からその日に入るお客様のカルテを念入りに確認し、ぎりぎりまで先輩にアドバイスをもらい、準備万端の状態で臨みました。初めて入ったお客様のことは、今でもはっきり覚えています。
ガチガチに緊張してカウンセリングに入り、アシスタント時代にあれほどやった得意なシャンプーも、緊張でいつもの動きができなかったことは今でも忘れません。
先輩、後輩のみんなに支えてもらいながらスタイリスト1日目をなんとか乗り越えることができました。その日の営業後は、緊張と疲れでご飯も食べずに、気を失うかのように寝ていました。改めて先輩スタイリストさん達のすごさに気付かされました。

スタイリスト時代

スタイリストになり、お客様に対する責任感がより強くなりました。プレッシャーに押し潰されそうにもなりました。あっという間に時が流れ過ぎ、改めてこのままじゃダメだと感じていました。
もっとお客様の求めてる技術を提供して喜んでもらいたい、上手くなりたいと強く思いました。その為には、もっと練習をして自分に自信をつけていかなければならないと思い、日々練習を重ねていきました。
経験を積み、出来る技術が増えていくことにとてもやりがいを感じていました。その中でも、メンズカットが好きで、よく友達にモデルになってもらい練習をしていました。

私は、INTIに入社する前は、福岡の美容室で働いていたのですが、2ヶ月に一度、楽しみにしていた大イベントがありました。それは、地元長崎から家族が美容室に髪を切りに来てくれることでした。初めの頃は、父と母2人で来てくれていたのですが、どんどん人数が増え、最終的には父と母、2人の姉、姉の旦那さん、4人の姪っ子甥っ子で、美容室に来てくれていました。その日は、半日以上時間をかけ家族みんなの髪を切り、カラーやパーマなど、大イベントになっていました。
でもそれがとても楽しみでもあり、わざわざ福岡に来て髪を切りに来てくれることが1番嬉しかったです。

INTI時代

INTI時代

私は、27歳の頃から、内服薬を飲み始めました。INTIに入社する半年前からになります。とにかく抜け毛が気になり始め、髪の毛が細くなりハリコシもなくなり始めていた頃です。自分に大丈夫、気のせいだと言い聞かせ毎日不安ながらも生活していました。SNSでいろいろ調べ、気付けば検索履歴は、薄毛、抜け毛の原因などで埋め尽くされていました。そんな悩みを抱えて生活をしている中で、INTI福岡店の堀本さんと再会をしました。
元々福岡で一緒の美容室で働いていた大先輩になります。
そこで初めて、INTIを知ることになりました。とにかく衝撃で気付けば、ホームページを隅から隅まで読み漁っていました。「ヘアデザインで人生を変える」私は、運命的な出会いでした。
ここで働きたい、学びたい、私と同じ悩みを持っている方の力になりたいと強く感じました。
初めて、代表の宮本さんに出会い、お話をしてよりINTIに入社をしたい気持ちが溢れ出ました。
入社が決まり、本格的に営業に参加させて頂き、たくさんの技術、知識を日々学ばせて頂い
ております。

INTI時代

本来私は、福岡店に勤務する予定でした。半年の関東研修をきっかけに、そのまま関東に残ることを決意いたしました。自分の知らない世界、技術、知識、なにより宮本さんの近くで今後、INTIがどう変わっていくのかを見ていたいと思ったからです。
INTIとの出会い、宮本さんとの出会い、なによりINTIを知るきっかけを下さった、堀本さんとの出会いにとても感謝しています。

目の前のお客様に真摯に向き合い、ご来店されるお客様の悩みやコンプレックスを少しでも軽減でき、喜んで頂く、美容師としてこれ以上に嬉しい事はありません。これからもっと技術や知識を身につけ、1人でも多くのお客様に笑顔になってもらえる人間になれるように日々精進してまいります。よろしくお願い致します。
長文となりましたが、最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。

INTI report - 原田享汰

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